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2010年01月20日更新
岡田外相の《核の傘》迷論

佐瀬  昌盛

    
  岡田克也外相は、私に言わせると直進的正義感、直線的倫理意識の持主である。そのことを如実に示すのが、オバマ大統領が「核なき世界」を ── たとえその実現に長い時間を必要とするのではあっても ── 目指すというのであれば、米国は「核先制不使用」を宣言すべきであり、日本も米国政府にそれを求めていくべきだ、との主張である。しかしその場合、米国が日本に差しかけている《核の傘》はいったいどうなるとの疑問が出るのは当然である。

  この問題について岡田外相は、まだ民主党が野党だった昨年に雑誌『世界』(7月号)のインタビュー記事で、その場合に日本は米国の《核の傘》から「半分、はみ出す」のだと語った。その人物が新政権の外相に就任したのだから、記者会見などでいく度か《核の傘》についての岡田外相の考えが問い質された。10月下旬に訪日したゲーツ米国防長官にも外相はこの「持論」を説明した模様だが、反応がどうであったかについては口を濁した。喜んで披露できるような反応でなかったことは、容易に想像できる。それ以後、この問題での外相発言は若干、歯切れが悪くなった。米国に対していますぐ「先制不使用問題」を提起しようというのではない、というのである。しかし、自説の骨格を変えた形跡も見られない。

  外相の考えで私が最も注目したのは、米国が「核先制不使用」を断念しても、それは核の「報復使用」を禁じることではないという部分である。「不幸にして(日本が外国からの)核攻撃を受けた場合、それに対する核による反撃まで否定しているわけではない」、つまり、米国がその核攻撃国に報復核攻撃を行なうことは認められる、というのだ。途端に私は、岡田外相には《核の傘》、つまりは米国の「拡大抑止力」の意味が分かっていないのだなと慨嘆せざるを得なかった。

  なぜか。

  「不幸にして」万が一にも日本が核攻撃を受けた場合、それは米国の「拡大核抑止」が効かなかったことを意味する。もう少しはっきり言うと、日本にとっては「拡大核抑止」はなかったのと同じことなのだ。まず、岡田外相はこのことに気づいていない。

  つぎに「先制不使用」義務は米国の「報復核使用」を禁じていない、との外相の考え。論理的にはそうだ。しかし、日本だけが「不幸」な事態を迎えた場合に米国はそういう核反撃行動に必ず出るか。そう考えるのはおめでた過ぎる。なぜなら、日本が核による破壊を受けたとしても、それは米国土に対する核攻撃ではないからである。某攻撃国が日米両国に同時核攻撃を行なうならば、米国は日米両国のために核報復力を使うだろう。それは、日本のためと言うより、自国のための核報復である。だが、あらかじめ「核の傘から半分、出ました」と称する国のために、自国が核攻撃されてもいないのに米国がどうして核報復力に訴えるだろうと想定するのか。報復核使用は米国の慈善事業ではない。

  私は、先制核使用のオプションが消えるとして、報復核使用の可能性が残されている場合、それにもなにがしかの抑止効果があることを認める。しかし、それは第一義的にはあくまで核保有国(つまり米国)が自国のために期待できる効果なのだ。日本のような《核の傘》享受国が報復核使用の抑止効果を享受したいと考えるのならば、事前に報復核使用が確実に実行されることの保証の取り付け、つまりはその義務化がなければならない。しかもそれは公然たるものでなければ、意味がない。岡田外相はそこまで踏み込むつもりなのか。

  核先制不使用を誓約しても、「核による反撃まで否定しているわけではない」と岡田外相は言うが、「否定」されていないことは「実行」されるとでも考えているのだろうか。禁じられていないことを実行するかどうかは、その実行能力の保有者がケース・バイ・ケースで、多くの場合、自己の利害を勘案して決めるのだ。「禁止されていない」から「実行される」と考えるのは、あまりにもナイーヴである。

  なお30年、50年と維持可能な日米同盟を目指すというのが口ぐせの岡田外相は、かくも思慮の足りない《核の傘》半分返上論など、早く清算すべきである。


佐瀬 昌盛 : 防衛大学校名誉教授